:山間の道 寅:梅の花が咲いております。どこからともなく聞えてくる谷川のせせらぎの音も、何か、春近きを思わせる今日此頃でございます 寅:旅から旅へのしがない渡世の私共が粋がってオーバーも着ずに歩いちゃおりますが 寅:本当のところあの、春を待ちわびて鳴く小鳥のように、暖い陽差しのさす季節を恋い焦がれているんでございます 郵便配達夫:ばあちゃん!ばあちゃん郵便やで 老婆:ああ……どこからや? 郵便配達夫:名古屋の義夫さんからやな 老婆:へえ、あんたすまんけど読んでくれんかいなあ 郵便配達夫:はあ? 老婆:眼鏡つぶしてしもうてな読めへんのや 郵便配達夫:面倒やな‥‥‥いいかい、読むで‥‥‥ 郵便配達夫:はいけい、おばアちゃん、元気ですか、僕も元気で働いています。早いもんで名古屋に就職してもう一年になります 郵便配達夫:少し貯金も出来たので、おばアちゃんに、前から欲しがっていた電気アンカを買って贈ります 郵便配達夫:母さんに使い方をよく聞いて火傷をしたりしないよう、大事に使って下さい 郵便配達夫:良子や澄子によろしく。けいぐ‥‥‥おばアちゃん、ええ孫持って幸せやな 老婆:へえ、大きに 郵便配達夫:じゃ 寅:私の故郷にも血を分けた妹と叔父夫婦が私のことを案じながら暮しております 寅:毎年、春が近づくたびに、出来ることなら暖いチャンチャンコの一枚も買って帰って喜ばしてやりてえと思うのでございますがね 寅:それがなかなか思うにまかせぬ辛さでございます 寅:お来たな、ばあさん、御ち走さん、じゃ勘定はここへ置くぜ釣はいらねえよばあさん 寅:お前さんの可愛いお孫さんが送ってくれた電気アンカの電気代の足しにでもしてくれたら嬉しいぜ、アバヨ 老婆:あ、あのう-- 寅:いいんだいいんだって、とっときな 老婆:あ、あのう、お客さん 寅:え?ああ 老婆:団子と甘酒で百二十円やけど‥‥‥ 寅:だから‥‥‥二十円? 老婆:へえ 寅:あ、足んないの‥‥‥あ、足りたかと思ってた。細けえのばっかり出ちゃう…… 寅:……じゃ、はいどうも。 老婆:はい。おおきに 寅:アバヨ 老婆:お達者で 寅:全くの話、銭があれば、銭さえあれば、私は今すぐにでも土産を買い込んで故郷へ帰りたいのでございます 客A:アイテッ! 寅:ちょ、ちょっと、ちょっと 客B:いやっ!痛タタ……ああ……! 寅:おう、ばあさんよ、余生達者で暮らせよなア、お孫さんによろしく言ってくれ、うん。 寅:ばあさん元気で暮らすんだぜ、俺も元気で生きていく! 寅:アバヨ。たっしゃでな、さよならあばよ 寅:ばあちゃん元気でな!あばよ、さようならか‥‥‥ 寅:さようでございます。私の故郷と申しますのは、東京、葛飾の柴又なのでございます :メイン・タイトル 寅:私、生れも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します :「とらや」の看板 :その中 竜:そりゃ行ぎたいよ、俺だってね、死ぬまでには一度外国の土地を踏んで見てやな さ:ホラ、ホラ 竜:でもねお前、いくら安上りだって三十万もの金が出せる訳がないよ つ:ハワイ処か大島だって連れてって呉れやしないんだからねえ、このケチンボは 登:‥‥‥じゃ誰かこの商店街で行きそうな人ありませんかね 竜:ムリよ登君、来年はおいちゃんが商店会の幹事っていうからその時に来たら 登:来年ですか、随分先だなア‥‥‥今年にしませんか 竜:だってついこないだ修善寺へ行ったばかりだぜ 登:じゃ、どうでしょう、今年の秋、紅葉の日光見物なんてのは さ:ちょっと、登君 登:へ? さ:随分商売が板について来たじゃない 登:いやだなア冷やかさないで下さいよ‥‥‥じゃ、ポスター置いて行きますから 竜:うん 登:お店にでも貼っといて下さい 竜:ああいいよ つ:じゃ、またおいで‥‥‥ つ:あの子もよく堅気になったね、どっかちがうんだね寅さんとは‥‥‥ちがうんだとさ寅ちゃん さ:寅ちゃんじゃないの満男 つ:ああ、また間違えた。ハハハ…… さ:満男はもっと色男だもんね、さ、お父ちゃんのとこへ行ってこようか 竜:全くどうしてるかね、寅の馬鹿は‥‥‥ つ:あらお帰んなさい 竜:よう、お帰り。どうだった、旅行は 梅:それがね 竜・つ:うん 梅:びっくりしちゃったよ 竜:どうして? 梅:寅さんに逢ったんだよ つ:えー? 竜:寅に?‥‥‥何処で 梅:名古屋でさ‥‥‥水一杯くれや つ:あ、はいよ 竜:へえ。名古屋で、何してたいあの馬鹿は つ:叩き売りでもやってたのかい 梅:いやいや実はね、競馬場にいたんだよ つ:競馬場? :名古屋△△競馬場 梅:アッ、寅さん! 寅:うるせえ、黙ってろい! 寅:たのむよ!ハアーッ! :とらや・店 竜:何だい、そりゃア 梅:馬に頼んだって言うんだがね つ:何を 梅:一着になってくれよって 竜:何を言やがる、冗談だろ 梅:いや、本人は大真面目さ、一寸の虫にも五分の魂というぐらいだ 梅:ましてや相手は四ツ足だ、人間の気持が通じねえ訳はねえだろう、なんてね 竜:馬鹿だね、全く つ:その馬、それで強いのかい 梅:それがねどうしようもない馬さ、ワゴンタイガーて言うんだけどもね、ま、人間で言や五十才ぐらいの爺い馬よ 梅:無印しもいいとこ、まず絶対来ないということうけ合いの駄馬さ :△△競馬場 寅:なに!爺い馬だ!おいワゴンタイガーの悪口言いやがったら承知しねえぞ 寅:いいか、ワゴンタイガー、日本流にいやどういうことになるんでえ、ワゴンは車、タイガーは虎 寅:早く言やア車寅次郎じゃねえか、そうだろう同姓同名だい、ちょいと他人とは思えねえぜ 梅:ムチャクチャだよ、そんな、同姓同名だからって気持が通じる訳ねえだろ 寅:あれ?バカヤロ、馬だって人間だって同じまっ赤な血が流れてるんだい 寅:貧乏人が全財産はたき出してよ命をかけて頼みゃ判ってくれるんだ 梅:どうだかねえ 寅:あれ?手前ワゴンタイガー信用しねえのか、あいつは俺の言うことに、ちゃんと返事をしたんだぜ 梅:返事? 寅:当り前よ、馬は嘘つかねえからな、俺あ馬をじいっと見て、頼んだんだ 寅:、馬は大きく頷いたぜ、ツブラな瞳でよ。ヘヘッ、頼むぜ :とらや・店 竜:馬鹿だね、何処まで馬鹿なんだろうねえ つ:で、結局損しちゃったのかい 梅:いやね、それが驚くじゃないか つ:え? :△△競馬場 梅:来た!寅さん、来たんだよ!大穴だよ、おい、しっかりしろい! 梅:おい!しっかりするんだよ、本当に来たんだよ、ワゴンタイガーが! 寅:‥‥‥ア、あたりめえだい‥‥‥べらぼう奴‥‥‥ :とらや・店 梅:一万八千円の大穴よ、野郎ね特券ブチ込んでるからしめて十八万よ つ:十八万?!‥‥‥ 竜:オイ、ソ、ソ、ソ、その金、どうしたい :△△競馬場 寅:俺ア今日ついてるんだ、つきは逃がしちゃいけねえ、それが渡世人というものよ 梅:オイ、一寸待ってくれ、それだけはやめてくれよ、ここはねその金もっておとなしく柴又へ、な。さ、さ…… 寅:おう、これは俺の銭だ!俺の銭をどう使おうと勝手じゃねえか、さ、いやだったら一足先きに帰ってくれ! 梅:と、寅さん……あっ!アイタ、タ、タ…… 寅:あばよ、タコ! :とらや・店 梅:ああなったらね半分気狂い見たいなもんだからね、いくらとめたって無駄だよ つ:じゃ、寅さんはその後 梅:きまってるよ、パアだよ、あと三レースもあったからね、あの勢いじゃ十八万一レースですっちまったんじゃねえのかな 竜:馬鹿だね、本当に 梅:人間ね、ああいうところへ行くようになったらおわりだね、つける薬がねえよ、全くの話が 竜:全くだなア 梅:そうよ 竜:ところでお前さんは何しに行ってたんだい つ:あ、そうだ 梅:あッ、ころっと忘れてた。うちへ帰らなくちゃあ 竜:十八万パアだとさ‥‥‥いやだいやだ、俺あ頭いたくなっちゃったなア、もう‥‥‥ :江戸川の土堤 寅:おう、源の字相変らずだな、この野郎 源公:兄貴!何処行ってたんだよ 寅:名古屋よ 源公:名古屋? 寅:名古屋からタクシーブッとばして来たのよ! :川甚横の道 源公:名古屋だい、名古屋のタクシーだぞい!寅の兄貴が帰って来たんだぞ!おっ……乗れー!名古屋だーい! :参道 源公:名古屋のタクシーだぞー! 寅:よう蓬莱屋、どうした相変らず馬鹿か 蓬莱屋:寅さん!なんでえ寅さん名古屋から帰って来たのかい、え? 源公:名古屋だ、名古屋だーい!兄貴が名古屋のタクシーで帰って来たぞーい、兄貴だぞーい!兄貴が帰って来たんだぞーい! :とらや 蓬莱屋:大変だ!とらやさん!あのね、寅さんが帰って来た、寅さんが帰って来た、寅さんが! :茶の間 蓬莱屋:とらやさん、寝てる場合じゃねえよ、おめえ。寅さんがね名古屋からタクシーで帰って来たんだよ 弁天屋:何でも競馬で大穴当てたらしいぜ 源公:あ、来ました。来ました :店 寅:おう……何でえ、え?ヘヘッ!何時来ても相変らず小汚い店だなおい 源公:兄貴!兄貴‥‥‥あの、運ちゃんがタクシー代払ってくれって 寅:おう。いくらだ 源公:二万九千円 寅:ほう、乗り物は安いな‥‥‥勘定しとけよ 寅:ガタガタするなお前 源公:あ、運転手さん 運転手:はい 寅:よう、おばちゃん元気かい、おっ、おいちゃんも達者でいたか、うん。よかったよかった 蓬莱屋:よう、寅さん、一体いくらもうけたんだい? 寅:なアに大したこたアねえさ、この寅ちゃんにちょいと目が出たと思ってくんな 蓬莱屋:十万ぐれえか 寅:ヘっへっ 弁天屋:二十万? 寅:へっへっ 蓬莱屋:もっと多いのかい 寅:なに、いつも手ぶらで故郷に帰って来る寅ちゃんがよ、ほんの手土産代りに年寄り夫婦をどっかいお連れする 寅:まあ、その位のはした金だと思ってくんな 蓬莱屋:へえ、とらやさん、凄いじゃないか、あの、どこへ行く、あ、熱海か、それとも湯河原か 弁天屋:思い切って別府か雲仙あたりどうだい、ね寅さん 寅:別府? 弁天屋:うん 寅:おう、それもいいかもしれねえな、どうだい二人そろって行ってみるか一月か半年ほどよ 竜:おい、おい。ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ 寅:おう 竜:寅さんお前正気か 寅:当り前よ、それともなにかお二人でもうちょっと遠走りしてえか つ:あのね寅さん 蓬莱屋:どうだい、いっそのことお前ハワイにでも連れてって貰っちゃ 寅:おう、蓬莢の 蓬莢屋:え? 寅:百万もありゃハワイへ行けるか 蓬莱屋:そりゃ、百万もありゃ三四人は楽に行けるな 寅:ハワイ結構、結講毛だらけ猫灰だらけ、お尻の廻りは糞だらけってな、おい 寅:おいちゃん、おばちゃん、ハワイ行こうじゃないか決定!何だい、どうかしたか 蓬莱屋:ようよう 寅:ん? 蓬莱屋:‥‥‥い‥‥‥一体どのくらいもうけたんだ 寅:フン、知りてえか 弁天屋:知りてえなあ 寅:よし見せてやろうじゃねえか、なあ。この俺が肌身離さず‥‥‥アレ、アレ、アレ?‥‥‥すいません、一寸そこら辺に‥‥‥ 源公:兄貴‥‥‥兄貴!兄貴! 寅:馬鹿野郎!なんで手前が持ってるんだい!ああびっくりした 寅:おい、いいか、このフーテンの寅が血のつながりのあるおじさんとおばちゃんに 寅:恩返しがしてえと思ってな神仏に願かけて五と六と七 寅:買ったレースが付きに付いてどうだいこれだけの銭になった。 寅:へへ、眼エ廻すなよ、おばちゃん立ったまゝションベン洩らすなよ、ざっと百万両だ! 竜:本当だ! 寅:おう源の字! 源公:はい 寅:店をしめろい、今日は俺のおごりで前祝いだ、ぱアッとはでに無礼講でいこうじゃねえか! :とらや・表(夜) ?:私のーラバさんー ?:酋長のムスメエー :店 :茶の間 竜:ああ、何だか悪い夢見てるような気がして仕様がねえんだよ つ:競馬でバカ当りしちゃったんで少し気がおかしくなったんじゃないのかい 博:もともと余り正常じゃないんですからねえ :江戸川堤(翌日) 釣り人:へえ、百万円か‥‥‥たいしたことやったなあ 梅:やってくれたのはいいけどさ、おかげでうちの工員共が勤労意欲をなくしちまってね 梅:全然働かねえんだよ、えらいめいわくよ :蓬莱屋の表 蓬莱屋:全く真面目に働くのが嫌になっちゃったよ。 蓬莱屋:あくせくかせいでよ伜を大学にやって、ハワイ処か、え、いまだにお前、親のスネかじってんだ :とらや・茶の間 つ:もう町中の評判でね、逢う人逢う人、よかったね、だの、お目出とうだの、いつ出かけんだいなど つ:あたしゃもう返事に困っちまうんだよ‥‥‥あ?おいちゃんかい、熱出して寝てるよ :さくらのアパート さ:お兄ちゃんは?お兄ちゃんはどうしたの‥‥‥ さ:ええ?切符買、おばちゃん、切符たって駅で買えやしないわよ‥‥‥ええ?登君の名刺‥‥‥登君のとこへ行ったの?! :旅行社 寅:ま、こっちは外国旅行ははじめてだからよ、何分よろしくたのむぜ、おい 登:本当に、よござんしたね兄貴‥‥‥一体何で儲けたんですか、まさか競馬や競輪じゃないんだろうね 寅:冗談いうなよお前、んなケチな貧乏人のバクチに手出すかい、やせても枯れてもこちとら渡世人のはしくれよ 社長:本当に、登君がこんな御立派な方と知合いとは存じませんで 登:あの、特別に勉強して貰えるそうですから 寅:あ、そうかい、ま、よろしく社長たのむよ、な。登、銭払っとけ :さくらのアパート さ:払っちゃったお金はもう戻らないんだしさ、 さ:こうなったらクヨクヨするのはやめてスッパリその気になった方がいいんじゃない 博:おじさん達、どう言ってた? さ:もうヤケクソだなんて言ってたけど、そうと決まれば結構楽しいんじゃない、 さ:明日あたり買い物に行くか、なんて相談してたから 博:そうか‥‥‥そうだろうな 博:ああああ、ハワイか‥‥‥ :参道(朝) :とらや・店 寅:じゃ、俺元気で行ってくるからよ-- 源公:御前様です! 蓬莱屋:お早うございます 近所の人達:お早うございます 御:お早う、みなさん、朝早くから御苦労さん 寅:どうも。御前様、この度はわざわざお見送り下さいまして有難うございます 御:おめでとう 寅:ええ 御:幸い天気もよくて何よりだ 寅:はっ 御:ああ、これはね 寅:へい 御:えー、少しだが餞別と、旅行安全のお礼だ 寅:はあ 御:気は心だ、鞄の隅に入れといてくれ 寅:何をおっしゃいますか、それじゃ、ご遠慮なく 寅:おう、博。ちょうだいしたぜ 御:何か 寅:え? 御:お前草履ばきでハワイへ行くのか 寅:あ、これですか、ヘヘッ、今もねこの話を皆でここでしてね、どっと笑ったばっかりなんで‥‥‥ 寅:雪駄っつう物はね日本古来の履物だ、あっしはこれを穿いてねパリだってロンドンだって私は平気で行きますよ 御:ふむ、ま、兎に角余り日本人の恥になるようなことをせんようにな 寅:恥だなんて言われちゃうとこっちは弱いなおい 寅:よう、おじちゃん、おばちゃんおいで、おいで、御前様が見えたぜ つね:はいはい、只今 蓬莱屋:いよう‥‥‥まるで総理御夫妻だね 竜:いや、皆さんどうもどうも、おっ、御前様、朝早々とどうも 御:どうかね、少しは英語を話せるようになったかね つ:だめ、だめ、私しゃね一切向うへ行ったら口をきかないことにきめました 寅:おばちゃんはよホエアイズトイレット、これだけ覚えてりゃいいんだよ 竜:俺はギブミーウィスキーだな 寅:ちげえねえや さ:お兄ちゃんは 寅:きまってるじゃねえか、アイラブユーよ 御:ま、気をつけてね、私も死ぬまでに一度はそのハワイに行きたかったが、ま、私の分迄楽しんで来てくれ 竜:へい。へえへえ 博:さア兄さん 寅:おう 博:そろそろ時間が 寅:ようし。オウ、源の字、車見て来てくれ 源公:へい。あっ、来ました来ました 寅:大丈夫か、おばちゃん。なんだか竹馬穿いてるみたいだな、おい 寅:おっと、カバンだ……ありがとよ 登:兄貴、兄貴、一寸、一寸 寅:あれ、この野郎--お前どこから来たんだよ 登:一寸、一寸 寅:なんだ、お前-- 寅:何だよ、え、社長はどうしたい、羽田の飛行場で待ってんのか 登:兄貴、それがね‥‥‥ 寅:手前、なにかあったな、一体どうしたんだい 登:申訳けねえことになっちゃったんですよ、社長が兄貴の金もって逃げちゃったらしいんだよ 寅:‥‥‥逃げた‥‥‥? 登:昨日から姿を見せないんで、念のために航空会社へ電話してみたら、全然、金を払込んでないんだよ 寅:一体、どうしたらいいんだよ! 登:すいません、まさか社長がそんな悪いことするなんて思わなかっ…… 寅:馬鹿ヤロー 蓬莱屋:よう。よう、寅さん、おいタクシー待ってるよ 寅:ああそうか、直行くよ、直行く…… 登:兄貴‥‥‥どうする? 寅:どうするったァ、こっちでいいてえことだ。どうするんで!この馬鹿野郎! 博:兄さん、荷物を積み込みました 寅:おう 博:おじさんたちも待ってますよ 寅:あ、そうか。ありがとう。じゃ、これ持ってってくれ 博:はい 寅:うん 博:どうしたんですか 寅:うん?いやこれか、俺との別れが悲しいなんて泣きやがってへへ、泣きベソよ 博:そうですか、あっ、ぼくも羽田まで一緒に行きますよ 寅:あんた行くの 博:いけないんですか 寅:いや、いいよ、ありがと、ん。じゃ、じゃ 博:泣くなよ吉川さん、直帰ってくるから :とらや・表 つ:じゃあ、さくらちゃん、あとよろしくね さ:ええ、大丈夫よ 博:どうも皆さんお待ち遠さま 梅:早く早く 博:兄さん早く‥‥‥兄さん…… 御:気を付けて‥‥‥ 寅:どうも、お待たせしました。本日は朝早々とお見送り下さいましてありがとうございます 寅:車寅次郎以下三名、えー、只今よりハワイにむけて出発さして頂きます さ:お兄ちゃん、おじちゃんとおばちゃんのめんどうをちゃんとみてね 寅:大丈夫だよ、まかしとけ! 御:では‥‥‥あ、梅太郎さん、万才三唱といこう 梅:え、では、とらやさん御一行、バンザーイ 寅:万才! :羽田空港 :送迎デッキ 寅:三人は無事、出発しました。御町内の皆様にはくれぐれもよろしく申しておりましたと、こう言っとけよ 博:その後どうすんですか 寅:俺がなんとか旨いことやるよ、さ、帰れ帰れ帰れ 博:そうですか 寅:ん…… 博:僕先に帰ります、じゃ 竜:寅さん、俺達どうすんだよ、え? つ:寒いよ、あたしゃ風邪引きそうだよ 寅:まアそう言うなよ、こっちもいろいろ考えてんだからよ 寅:まアんな事より落着いて景色でも見ろよ、な、大したもんだぜ、日本の飛行場もよ :参道(夜) 寅:しぃっ!おいちゃん 竜:はっ! 寅:ワォォーン!ワン 竜:ワォォーン!オオーン…… 寅:何時までやってんだよ! :店内 寅:誰にも見られなかったろうな 竜:ああ、大丈夫だろ。ああ、つね つね:え? 竜:あかりつけろよ つね:あいよ 寅:おばちゃん、駄目だよ、あかりなんかつけちゃ つ:なんで? 寅:なんでってわからないのかい、俺達は留守ってことになってんじゃねえか 竜:そうか、あかりも点けられねえんだ‥‥‥ つ:寅さん 寅:えっ? つ:食べ物どうすんだよ 寅:食べ物ったってお前、米ぐらいあるだろう つ:そりゃ、少しはのこってっけどさ、おかずは何もないよ 寅:贅沢言うんじゃねえよ、この野郎!塩ぱあっとふりまいて喰やあいいじゃねえかそれで 博:ぼくですよ、博です、もう帰ってるんでしょ 寅:誰にも見付からなかったろうな? 博:ええ 寅:静かにして下さいよ 博:すみません つ:博さん、さくらちゃんはもう知ってんの 博:いえ、まだ言ってないんです。あんまり心配だったもんでぼくだけ様子を見に来たんですよ 寅:えらいよ、おい。たのむぜ、どんなことがあったってさくらの奴には内緒だぞ。な。 寅:まず敵を欺くには味方からって言うからな 博:でこれからどうするんですか 寅:簡単よ、お前。四日ばかりこの家ん中に隠れるのよ。な 寅:そして五日目によどっかの八百屋行ってパイナップルでも買って来て、 寅:近所の衆に只今帰りましたと挨拶すりゃそれでいいんだよ 博:パイナップルはいいけど、もしハワイの話を聞かれたらどうします 寅:簡単だよ、お前。お水が合いませんでしたとこう言やあいいんだよ。 寅:むこうへ着いたら直ぐピーッと下痢しちゃってね、ホテルから一歩も出なかったとそう言やあいいんだから 博:うまくゆきますかね 竜:そうだろ、俺ア自信がねえと言ってんだよ 寅:グチこぼすんじゃないよお前、小便して早く寝ろよ、あっ痛ッ‥‥‥ 寅:いてえな……静かにしろよ!あっいてゥ……つぶれちゃったー :とらや・表(翌日) 蓬莱屋:やぁ、今頃は、お前ハワイの海岸でのんびりとコノ、日光浴やってるよ 梅:いや、向こうじゃ今は夜じゃねえか 蓬莱屋:そうか。じゃ、ヤシの木陰でコノ、美人に囲まれちゃってよ、コウ、フラダンスかなんかやってるな 弁天屋:いや、あたしゃねあちらはまだ夜があけたばかりじゃないかと思いますがね 蓬莱屋:それじゃお前、とらやさんとおかみさんは、コノ、ダブルベッドの上でよコーヒーかなんか飲んでいるよ、きっと。ハハハ…… 春子:列を乱さないで‥‥‥ 近所の人:ご苦労さんでございます 春子:どうも 蓬莱屋:やあ、お帰りですか、先生 春子:ええ 梅:お帰りですか 春子:ええ‥‥‥さ……どうも‥‥‥ :店内 寅:おいちゃん 竜:うん? 寅:あ、あの人誰だい 竜:あれか?新しく来た幼稚園の先生だよ 寅:美人だな 竜:だろう、綺麗だろう :時代劇 :とらや・座敷 寅:声の出ねえテレビはさっぱり訳判らねえな……よいしょっと 竜:何んだか戦争中を思い出すなア つ:さくらちゃんには何んて言って出て来てんだい 博:友達のところへ行くって、しかし毎日同じことも言えませんからね 竜:変に誤解されても困るしな 博:ぼくそろそろ帰りますわ つ:あそうすまないねえ 博:明日又何かおいしい物でも、買って来ます 竜:あ、どうも 博:じゃ 博:何んですか 寅:静かにしろい 寅:おばちゃん、あかりを消せよ つ:え? 寅:あかりを消せってんだい 寅:畜生メ、畜生メ!畜生!おばちゃん、あかり点けろ 寅:この野郎!こすっからいつらしやがって 泥棒:あっ痛!痛!イテテ‥‥‥も、もういいじゃないですか、無抵抗なのにそんなにひっぱたくのは卑怯者ですよ 寅:生意気な事言うな。この野郎! 博:兄さんもうそのへんで、おい‥‥‥あんたは本当に泥棒か 泥棒:はい 寅:なにがはいだ、この野郎とぼけやがって手前。泥棒のくせにバックレやがって 竜:おいあの、寅、構わねえから警察を呼んじゃえよ つ:あ、あ。その方がいいよ 泥棒:一寸待ってくれ、お願いですかんべんして下さい 寅:何ィ? 泥棒:ごめんなさいもう二度としません。 泥棒:本当の出来心なんですよ警察だけはかんべんして下さい、病気の女房とね、子供が二人待ってるんですよ 寅:いい加減にしろこの野郎、そんな見えすいた嘘でもってだまされる俺達だと思ったら大間違いだ、この野郎奴 寅:しっかり押えていろ 博:はい 寅:俺、今、一一〇番に電話してやるからな、畜生‥‥‥ 博:はい 寅:博、一一〇番てのは何番だっけ? 博:え?あっ、一一〇です 寅:よし 博:一寸 寅:あ? 博:兄さん! 寅:何でえ 博:警察に届ける以上 寅:おう 博:僕達がここにいることは判ってしまいます、覚悟して下さいよ 寅:ええ?‥‥‥あ! つ:そんなこともうどうでもいいから早く 竜:そうだよそうだよ 寅:いや!そうはいかねえ‥‥‥そうか、そらあまずいな、畜生‥‥‥ 寅:ンニャロー、手前もなんだよりによってこんなときに泥棒に入りやがって。このタコ! 泥棒:あいた!もういいでしょう何もしてないのにひっぱたくことはないじゃないですか 寅:手前は泥棒なのにどうしてそういう生意気な事をいうんだ! 泥棒:アーッ!人殺しイ! 寅:あっタ!あっ痛ッ、噛んだ噛んだ‥‥‥いてえな、コノ!あっツゥ! 博:兄さん!もうこうなったら何もかも諦めて警察に届けましょう 寅:届けましょう、じゃなにか今までの苦心が水の泡って事になるじゃねえか 竜:寅さんよ、こらあもう長続きしねえぞ、俺アもうクタクタだよ 寅:そうかいそれじゃおいちゃんは町内の笑いものにされてもそれでいいってのか 竜:いや、俺ァもう諦めたア つ:そうだよ、博さん早く一一〇番を呼びなよ 寅:待てよ、待てっていってんだろう!待てって言ってるじゃねえかこの野郎! 寅:おいちゃんはね、笑いものにされても構わねえって言うけどもよ、本当に笑われんのは誰か知ってんのかい、え? 寅:そりゃあねおいちゃんには世間は同情的だよ、本当の三枚目になるのはこの俺さ、 寅:そこら辺のとこをわかってくれよ、そうだろう博、え? 博:じゃ、どうしましょう 寅:逃がすのよ 竜:逃がす? つ:大丈夫かい 竜:また泥棒するんじゃねえかなあ、俺ァ、知らねえぞ 寅:もう二度とこの家にゃ入らねえよ、そういうもんだよ。 寅:おいコソ泥。お前釈放してやるからな、え、有難えだろう、早くゆけ 寅:こらそうときまったら目ざわりだよとっとと消えてなくなれ!ンニャロ 寅:何だお前出口‥‥‥あれ?この野郎、手前なにか文句あるのか 泥棒:出て行こうと出て行くまいとあたしの勝手だろう 寅:何ィ? 泥棒:まだなんにもしてないのにしばられて蹴られたり叩かれたり挙句の果てに出て行けはひどいですよ 泥棒:一番電車までおいて貰おうかな、 泥棒:こんな寒い夜中に表に叩き出されるくらいなら留置所にでも入れられた方がよっぽどましだったなア 寅:コノ野郎!畜生!足元見やがったな 泥棒:見られて悪い足元でもあるのかい 寅:‥‥‥手前はよっぽどの悪だな 泥棒:余り善人じゃ勤まらねえな 寅:いくらだ 泥棒:あ? 寅:いくら欲しいんだよ 泥棒:小父さん、草履下さい‥‥‥こんな事だったらもっと早く言ってもらったらよかったんですよ、ねえ兄さん 寅:のぼせるな!この野郎!手前みてえな奴はとっとと--きえてなくなれ!野郎‥‥‥ったく。手数かけさせやがって 博:兄さん‥‥‥どうして、お金をやったんですか 竜:そうだよ何もお前、泥棒に入って来た奴に金払うこたアねえじゃねえか! つ:本当だよ 博:そうですよ 寅:ガタガタ言うなうるせえこの野郎、こっちだってよっぽど辛えんだ!畜生! :参道 泥棒:フフフフ…… 巡査:おい、君、何をしてるんだ? 巡査:こらッ、待てっ!待てー! :とらや・店 巡査の声:待てー!オーイ、泥棒だ! 寅:バカヤロ。彼奴、何で逃げたりしやがるんだろうな‥‥‥! :参道 巡査:……静かにしろ! 泥棒:すいません、何も悪いことはしてないんですよ 近所の人:何だって? 巡査:悪いことしてない奴が何で逃げるんだ 泥棒:それが‥‥‥自分でもどうして逃げだしたんだか、可笑しいなア‥‥‥ 巡査:いいかげんにしろ、さっき持ってたのは金だろう 泥棒:ああ、あの金はこのとらやさんで貰ったんですよ 巡査:見えすいた嘘をつくな、とらやさんは留守だ 泥棒:いいえ旦那、いますよ 蓬莱屋:馬鹿、とらやさん一家はな、皆ハワイへ行ってんだい!クソッタレ! :とらや・店 泥棒:で、でもね、四人、ちゃんといるんですよ、間違いありませんよ 蓬莱屋:お巡りさん 巡査:え? 蓬莱屋:あ、こいつね、早くブタ箱にブッ込んだ方がいいよ :表 泥棒:本当ですよ、私、逢ったんですよ、四人いましたよ 巡査:四人? 泥棒:ええ、御主人らしい年とった夫婦と、若い人が一人ともう一人はなんて言うか、こう……四角い顔した、眼のチッチャな人 :とらや・店 蓬莱屋:ん?少し馬鹿みてえな? 泥棒:ええ、そうそう。そう 寅:あのヤロウ…… :表 弁天屋:寅さんだよ 近所の人達:えー? 泥棒:寅さん寅さんてみんな言ってましたよ 巡査:こっち来い! 泥棒:いや……あの…… 巡査:来い!早く! 巡査:とらやさん、誰かいるんですか 泥棒:中の人、あけて下さいよ!あけて下さいよ :とらや・店内 巡査:あれ? 蓬莱屋:あ、電気つけよう 弁天屋:とらやさん! 寅:これはこれはどうも皆さん‥‥‥夜分遅く、お役目御苦労さんですね 蓬莱屋:ちょ、ちょ、ちょっと‥‥‥何だい、ハワイ行ったんじゃなかったのかい、え? 竜:ヘヘヘ、ま、それがね、へへ、色々とさ、イヒャ、ヒャ、ヒャ、ヒャ、…… 泥棒:旦那、私の言う通りでしょ、ちゃんといるんですよ四人、私は嘘をつきませんよ 泥棒:嘘つきは泥棒のはじまりですからね。兄さん、さっきはどうも 寅:どうもどうも‥‥‥本当にこの度びはお世話様になりましたね、ヘヘヘヘ 泥棒:いいえ 寅:あなたにね、泥棒に入って貰ったおかげでね、とんだ迷惑をこうむったんだこの野郎! 泥棒:あ、痛いっ、あっ!泥棒! 寅:泥棒!よく手前泥棒なんて言いやがったな!この野郎! 蓬莱屋:やめなさい!落ち着いて、落ち着いて 寅:この野郎、俺の事を……あっ!手前さっきよくも俺のことを!このヤロメ! :参道 寅:今更どうのこうの言ったってどうしようもねえだろう、つまるところ泥棒の野郎が悪いんだからよ :とらや・店 寅:今度逢ったら足腰立たねえように俺がブチのめしてやるからさ、それで文句ねえだろ! つ:泥棒なんか入らなくたってね、バレてたよ、こんなこと 寅:何を? 竜:そうよ、こんな嘘がうまくつける訳がねえや 寅:じゃなにか、おう。俺のやり方に文句あるっていうのか、おう 博:まアまア、兎に角悪いのは持逃げした旅行社なんだ、災難と諦めて、ね 竜:だからね、奴が持逃げしたと判った時に何で正直にそれを言わねえかと俺ァ、それ言ってるんだよ つ:そうだよ 寅:あのときそんな事が言えるかよ、立場っつうものがあるだろう、もしおいちゃんが俺だって同じことをするよ 竜:冗談じゃねえ、俺なら正直に言うよ 寅:言えるかい、バカヤロ 博:やめて下さいよもう、そろそろ夜が明けるんですよ つ:兎も角、もともとハワイへ行くなんてのが無茶だったんだよ、 つ:熱海ぐらいで我まんしときゃこんな情無い思いしなくて済んだんだい 竜:そう、そうだとも、俺アハナッからのらなかったんだ つ:あたしだってさ 寅:おいちゃん、よくまあそんなことがいえるな、オイ。あんなに嬉しがって英語なんか勉強しやがって 寅:年甲斐もなくアロハシャツなんか買い込みやがってよ 竜:おう、みんなな、お前の顔立てる為にやったんだい、仕方なくやったんだよ 寅:チキショウメ‥‥‥だったら俺一体、どうしたらよかったんだよ、俺が百万両稼いだのが悪かったのか! 竜:スッパリ言わして貰やその通りよ、悪銭身につかずと言ってな、所詮こんな赤っ恥かくのがおちなんだ 寅:赤っ恥?‥‥‥よくも言いやがったな、赤っ恥とは何でえ 寅:俺アよ、おいちゃんやおばちゃん達にいい目見さしてやろうと思ってよ、馬に迄頼み込んだんだぞ! 博:兄さん、それが違うんだ、誰も兄さんにいい目に逢わして貰うことなんか期待してやしない 博:若し兄さんにその気持があったら早く堅気になって嫁さんを貰って、他人に迷惑をかけない暮しをして欲しい、 博:それが一番の恩返しなんだ 寅:何い!手前俺のことをガキ扱いにするのか 竜:ガキより世話がやけんだ! 寅:言ったな、糞爺い! 博:兄さん! 寅:手前の為によ、神さまに願かけて、三日三晩、好きな酒もたって一世一代の大バクチうってよ、 寅:儲けた銭のどこが悪いんだ! 竜:バクチの金なんか欲しかねえんだ 寅:この野郎! 博:やめろ! 寅:とめるな! つ:やめとくれ!ウワァーッ!アー!アー…… 寅:‥‥‥畜生‥‥‥昨日っから‥‥‥人‥‥‥人一倍辛い思いしたのはこの俺じゃねえか‥‥‥畜生‥‥‥‥‥‥ :とらや・茶の間 寅:俺が謝まりゃいいんだろ、悪かったよ、‥‥‥俺アもう二度とこの家のシキイはまたがねえからな :とらや・店 博:兄さん! 寅:アバヨ 博:兄さん‥‥‥ 寅:とめるなっつうの 博:帽子‥‥‥ 寅:なんだよ つ:チョ‥‥‥ちょっと‥‥‥ つ:あんた‥‥‥いいのかい‥‥‥ :江戸川べり つ:悪い夢見てたんだよ、さくらちゃん、そうでも思わなくちゃ何だか後味が悪くってね‥‥‥ さ:小母ちゃん、また白髪が増えたね つ:当り前さ、寅さんが帰ってくると白髪が増えるんだよ‥‥‥ つ:困った人だね、本当に‥‥‥競場なんかやらなきゃあよかったんだよ さ:お兄ちゃん‥‥‥馬に頼んだんだって? つ:そうだってさ、笑っちゃうよ、そしたらね馬が返事して一着になってくれたなんて真顔でいうんだからね つ:おかしな人だよ、あんたの兄貴は‥‥‥ つ:どうしたんだい、さくらちゃん さ:何だか‥‥‥お兄ちゃんが、可愛想で‥‥‥ :江戸川附近 :とらや・店内 つ:あ、お帰んなさい 女店員:お帰んなさい 竜:一雨ごとに暖かくなってくるなア つ:もうそろそろ春ですね‥‥‥ 竜:ああ つ:寅さんどうしているかね 竜:寅か‥‥‥当分は帰って来れねえだろう、あの馬鹿‥‥‥ :帝釈天・山門 寅:おう‥‥‥ :とらや店内 つ:一寸あんたあんた寅さん帰って来たよ 竜:えっ、寅が 竜:どこに、いねえじゃねえか つ:ほら‥‥‥ほら‥‥‥ 竜:うん? つ:何の真似だろう 竜:入りにくいんだろう、俺たちが見ているとテレくさくて入れねえんじゃねえか つ:気がねしなくたっていいのにね、呼びに行ってやろうかしら、雨にぬれて可哀そうだから 竜:ちょ、ちょ、一寸待てよ、それじゃあいつカッコつかねえよ、俺たちがな気がつかねえ振りをしてりゃいいんだ 竜:表のほうを見ねえようにしてりゃきっと入って来るよ、友ちゃん向うへ行ってな、な。 女店員:はい。はい、はい 竜:早く早く つ:何か馬鹿々々しいねえ 竜:来たか‥‥‥ つ:まだまだ 竜:来たか? つ:まだ つ:来た‥‥‥ 寅:ん、んん!ん…… 寅:おばちゃん、俺だい、寅次郎だ、ご無沙汰したなあ つ:あら!寅さん、まあびっくりした、いつ入って来たんだい、全然気がつかなかったよ、あんた寅さんだよ 竜:えっ、寅さん? 竜:やあ、寅さん、お帰りお帰り 寅:おいちゃん、おばちゃん、暫く見ねえうちに随分年とっちまったなア 竜:馬鹿、あれからまだ一月しかたってねえよ 寅:あ、そうか? 竜:うーん 寅:どうもハワイにも連れてってやれずにとんだ迷惑ばかりかけちまった 竜:いや、もういいもういい、すんじまったことだよ 寅:かんべんしてくんな つ:もういいんだったら、それより寅さん、ぬれているよ 寅:え? つ:奥で着換えたら 寅:有難うよ、断っておくが、今度もそう俺は長居できねえんだ つ:また、そんなこと言って 寅:そうだ、夕方まで、二階で寝かしてもらおうかな、それまでには背広も乾くだろ 寅:六時頃起こしてくれよ、長い旅続けたんで疲れちまった 竜:おいおい寅さんよ 寅:ん? つ:ちょっと困んだけど 寅:何が? つ:二階じゃなくたっていいだろ、寝るの 寅:何でえ?俺が二階へ行っちゃ何か具合の悪いことでもあるのかよ つ:それがね‥‥‥ 寅:何だ、オイ、言いてえことがあったらはっきり言って貰おうじゃねえか 竜:実はな、寅さん、あの部屋、今人に貸してあるんだよ 寅:ええ?‥‥‥貸しちゃった? :寅の部屋の窓 :階下 寅:そうかい‥‥‥もう俺の部屋もなくなっちまったのかい 竜:いやね、御前様の口ききなんだよ、断る訳にはいかねえしさ、判ってくれよ 寅:甘え男だなあ、俺も 寅:遠い旅の空でよう、つらい時、悲しい時、故郷のことを思ってよ、俺にはどんな時でも帰るところがある 寅:やさしく迎えてくれる人が待っている、それを心の張りにしていたのによ 寅:そうか俺には帰るところもねえんだね 竜:寅さん、大げさだよ、下だっていくらでも寝るところがあるじゃないかよう、寅さん‥‥‥ つ:ねえ、寅さん‥‥‥ つ:寅さん 竜:よう 寅:とめねえでくれ、俺は出ていく、雨の中 寅:さくらたちによろしくな、 寅:寅次郎兄ちゃんは帰るところもなくよ、雨にうたれて淋しく出て行ったって、伝えてくんな、アバヨ 竜:寅さん、殺生だよそりゃ つ:ねえ‥‥‥ つ:あ、お帰えんなさい 春子:只今 竜:先生、これがいつもお話している甥の寅次郎です 春子:まあ 春子:宇佐美春子です 春子:すみません、寅次郎さん、今、わたしがいるお部屋、あなたのお部屋だったんですってね 春子:帰っていらしたとしたら申しわけないわね 春子:御迷惑じゃないかしら 竜:いいえ‥‥‥ 春子:本当にごめんなさいね 寅:いえいえ‥‥‥ :とらや・茶の間 寅:いや本当‥‥‥おばちゃん、おばちゃん、なにしてんの‥‥‥なにしてるんだいそこで?勤労意欲がないな君は‥‥‥ 寅:ぼく達はお茶のんでるんでしょう、お茶菓子持ってらっしゃいよ、あ、団子じゃダメだぞ 寅:さあて、このおばさんはね、へへ……お茶菓子つうと団子より他知らないんだ、 寅:へへ……自分の団子鼻見てろ、ハハハハ……ともかくね、面白い夫婦ですから-- 竜:しらねえよ俺ァ‥‥‥ :参道 :とら屋・裏 :春子の部屋 :とら屋・店 つ:おや、先生、お出かけですか 春子:ええ、一寸‥‥‥夕方迄には帰って来ますから つ:行ってらっしゃい 寅:おばちゃんよ つ:うん? 寅:釘‥‥‥あッ先生、もうお出かけですか 春子:ええ、じゃ、行ってきます つ:ああ、行ってらっしゃい 寅:ええ、私そこまで‥‥‥イテッ、テ、テ……一寸待って下さい送って行きますから‥ 寅:‥‥あっ、先生、あのう道々気を付けていらして下さい。世間には悪い男が多うございますから 春子:はい‥‥‥ 寅:行ってらっしゃい‥‥‥ :印刷工場・二階 工員A:おい、見えるかい? 工員B:残念でした、さっき出かけちゃったよ 工員A:なんだい‥‥‥ 工員:なにするんだよ 寅:なにする!見りゃあ判るだろう、低能、こっちの二階見えないようにしてんだよオ‥‥‥オウ、源 源:はい 寅:しっかり持ってろ。いいな 源:はい 工員:何にも見えなくなっちゃうよ 工員:陽が当たんなくなっちゃうよ 工員:ひどいなあ 工員:ちょっと!憲法違反だよ :レストラン 吉田:どうかね、春子ちゃん‥‥‥僕が手をついて頼んでも駄目かね 吉田:糖尿という病気はねそれ自体で命取りになるようなことはないんだが、他の病気を併発した場合は非常に危険なんだ‥‥‥ 吉田:君のお父さんの現状は決して楽観出来ない‥‥‥若しも君のお父さんにだね 春子:おじさま、私、お父さんって言われても困るんです 春子:おじさまにとっては古い友達でしょうけど、何度も言うように私にとっては顔も憶えてない他人としか‥‥‥ 吉田:でもね、父親には違いないんだよ 吉田:逢ってやってくれないかな、あんなに逢いたがってるんだ、このままあいつを死なせるのは、何としてもね :とらや・居間(夜) 女店員:じゃ、おさきに失礼します つ:ご苦労さん‥‥‥よいしょ…… 竜:おう、つね つ:ええ? 竜:今日は又ずいぶんゴオセイじゃないか つ:ああ、ちょっとオゴッちゃったんだよ、たまにはこれくらいなことをしないとね 寅:ちえっ、二人共言う事が貧しいねえ、これだから貧乏人は悲しいって言うんだよ、これが料理と言える代物かよ、ええ? つ:いやだったら食べなくたっていいんだよ 寅:ちえっ!はい、まんま、まんま。おっ、春子先生、さ、さ、いらっしゃい 春子:まあ、おいしそう、今夜は御馳走ね、寅さん 寅:そう、小母ちゃんは昔から料理作るのがとても上手で、ねえおばちゃん! 春子:あっ、おじさん、これ今月の下宿代 竜:どうもすみません、何すんだよ、おい 寅:へえ、これは驚き桃の木山椒の木、ブリキにタヌキに蓄音機だよ、ねえおいちゃん、春子先生から下宿代をお取りかい 竜:そりゃ当り前よ 春子:あの、とっても安くして下すってるのよ 寅:そうですか、先生は黙ってて下さい 寅:よくもあんな部屋で下宿代がとれるね、そりゃ常識外れてるよ、それともそんなアコギな人間だったかね、おいちゃんは 竜:アコギ!そういう訳じゃねえよ 寅:いいかい、あんなうす汚え物置見てえな部屋、俺だから我まんしてロハで住んでやったんだよ 寅:こうやってお他人様の春子先生がお住みになるというんだからどうもありがとうございますと 寅:おじちゃんの方でお金を差しあげるというのが常識あるやり方じゃないのかい 竜:無茶苦茶だよ 寅:ま、春子先生、これはね受取る訳には参りません、どうぞおおさめなすって 春子:困るわ、そんな 寅:ま、いいからいいから、いいから……いいから、さ 梅:今晩は‥‥‥寅さん、一寸 寅:何だいこの野郎、人のメシ時に 梅:一寸話があるんだよ、裏にわに来てくれよ 寅:何だいこのタコ、人がイカ食おうとしてんのに 寅:ちょっとタコが呼んでますから行って来ますわ 春子:あのこれ‥‥‥ 竜・つ:そうですか‥‥‥じゃ、どうも‥‥‥ 梅:兎に角な、人権問題だからな :裏庭 工員:そうだよ! 寅:ジンケンだかジャンケンだか知らねえけどな、俺のやる方法に不服があるんだったらよ 寅:トットと広いとこへ越して貰おうじゃねえか、え、このタコ 梅:言やがったな、よし、それじゃな、出るとこへ出ようじゃねえか 寅:オウ?なんだ、ケイサツか、警察沙汰にすんのか、おう!警察結構、結構毛だらけタコ糞だらけだこの野郎 梅:ヤロウ‥‥‥! 寅:何だ、やるのか、この野郎! 春子:寅次郎さん! 寅:はい 春子:あ、あの‥‥‥若し、私のお部屋に関係したことでしたらどうぞ、そんな喧嘩なんかなさらないで 春子:私、ちっとも気にしてませんから、ね 寅:いえ、喧嘩なんかしていませんよ、ぼく達は冗談が好きで 寅:社長とぼくとは大の仲よしだ、ね社長、またほらあんた冗談が好きだ、本当に。面白い人だな、社長は‥‥‥ 寅:タコ‥‥‥タコタコ上れって‥‥‥さア、ご飯食べましょう、ご飯食べましょう、さア行きましょう、ハイ :参道 :とらや・店内 春子:行って参ります つ:いってらっしゃい 春子:行って参ります 竜:ああ、行ってらっしゃい 竜:おい、寅、寅さん、何だ、こんな早くどこ行くんだ 寅:おいちゃんよ 竜:うん? 寅:俺がいねえ留守に春子さんから下宿代取るようなアコギな真似はしねえだろうな? 竜:うん、うん 寅:そうか。だったらいいよ、行って来まアす 竜:何言ってやんで、手前だって、下宿代ビタ一文だって入れたことがあるかってんだ 竜:おい、つね、今あいついって来ますっていたな つ:うん 竜:何処行きやがんだろう、あの馬鹿 つ:ああ…… :幼稚園の前 春子:お早うございます 御前様:お早うございます 春子:園長先生にご挨拶しましょう 園児たち:園長先生お早うございます 御前様:お早う 寅:お早う‥‥‥ 御:おい、こら。寅何処へ行くんだ 寅:あっち 御:だめ、だめ、用のないものは行っちゃいかん 寅:でも行きたいの、先生‥‥‥ 御:寅! :とらや・店内 蓬莱屋:俺びっくりしちゃってね 竜:うん 蓬莱屋:寅さんに“何してんの?”って聞いたんだよ 竜:うん 蓬莱屋:そしたら、“見りゃわかるだろ、お遊戯よ”つってこう言ってね 竜:うん 蓬莱屋:子供たちと一緒になって 竜:うん 蓬莱屋:一生懸命“メダカノガッコーは”なんて躍ってるんの。 竜:へーえ 蓬莱屋:ほいでお遊戯が終ったら、今度はお歌の時間よなんちって教室へ入って行った つ:ま、あきれた 寅:春が来た春が来たどこに来た‥‥‥おばちゃん、ごはん未だ?ボク、お弁当持ってかないんでおなか空いちゃった‥‥ 寅:‥春が来た春が来たどこに来た 竜:フン、何処に来たもねえもんだ、手前の頭ン中に来たんじゃねえのか :病院 :同・廊下 :吉田博士の部屋 :幼稚園 園児達:メダカの学校は川の中-- 事務員:春子先生お電話です 春子:はい :吉田博士の部屋 吉田:もしもし、春子ちゃん‥‥‥吉田です‥‥ 吉田:‥実はね‥‥‥突然だが‥‥‥今さっき‥‥‥宇佐美が息を引取りました :幼稚園・事務室 :吉田博士の部屋 :幼稚園・事務室 春子:‥‥‥判りました‥‥‥わざわざどうも :吉田博士の部屋 吉田:いえいえ‥‥‥葬式の日取りなどはまた追って‥うん‥‥ 吉田:それからね春子ちゃん貴女も気を落さないように、そして、冥福祈ってやって下さい、うん 吉田:お父さんはね‥‥‥お父さんは罪の報いを受けましたよ、充分なくらいね :幼稚園・事務室 春子:‥‥‥はい :題経寺・境内 御:今お帰りかな 春子:はい 御:あ、じゃご一緒に‥‥‥顔色がすぐれんようだが、何か 春子:いいえ、別に 御:ああ。今日は寅の父親の命日だからお経を一つあげてやろうと思ってね 春子:寅さんの?そうですか‥‥‥ :とらや・茶の間 寅:オッ! :山門の表 御:寅の父親というのはねなかなかの遊び人でね、かみさんや子供達は随分苦労させられたもんだ‥‥ 御:‥子供達と言っても寅は何というか、腹違いで、まあはっきり言えば私生児のような形で生まれたもので‥‥ 御:‥ま、可愛想な生い立ちですな、あれも :とらや・茶の間 竜:おい、つね、御前様が春子先生とアヴェックでやってくるぜ :同・店 寅:本当か、おいちゃんよ つ:何だよ…… 竜:おう、何だか仲良さそうに肩並べてさ 寅:畜生、いい年しやがって 竜:やもめが長かったからなア、あの御前様も つ:いいかげんにしないか、馬鹿 竜:ああ、これは御前様 つ:いらっしゃいまし 竜:いらっしゃいませ 春子:只今 御:はいこんにちは 寅:御前様 御前様:うん? 寅:今日は、春子先生とデイトですか、草団子の一つも食おうってんで、ヘヘッ、なかなか隅におけない人。ヘヘッ 御:馬鹿、今日はお前の親爺の命日だ 寅:へ? 寅:おいちゃんよ 竜:は? 寅:今日親父の命日だったのか 竜:そうなんだ、俺ァコロッとわすれてたんだよ 御:じゃ、上らせていただこうかな 竜:あっ、御前様、どうもすみません、今直ぐ仕度をします 御:竜造さん 竜:え? 御:寅の父親というのはつまりあんたの兄さんだな 竜:へ、どうも。そういう訳で、どうも面目もありません つ:ちょっと! 竜:え? つ:仏壇の扉があかないんだよ。ちょっと来てよ 竜:何だい、しょうがねえな本当に。へへっ、どうも…… :座敷 つ:ね、開かないんだ…… 竜:いいんだよ俺、俺がやるからさ、ざ、座布団持って来い座布団 竜:へへどうも済みませんどうも。-- 竜:あっ!ネズミ! 竜:ああおどろいた!畜生奴、まあ、真夜中にゴトゴトしてやがると思ったらここだよお前。驚いたね、まあ…… 御:竜造さん 竜:へっ 御:あんた方は少し信仰がたりんようだな 竜:へい、これはどうも相すみませんどうも 寅:おいちゃんよう 竜:えっ? 寅:ひでえじゃねえかよ 竜:うん 寅:自分の実の兄貴の命日忘れる奴があるかよ 竜:済まねえ済まねえ、何しろほら、忙しいもんだからつい俺も 寅:わかりゃいいんだよ 竜:何言ってやがんだ、おめえ 寅:うん? 竜:お前の実の親爺だぞ 寅:そうにもあたるな 竜:俺はね、いつもお前にかわってね‥‥‥ 御:もうよい、早くお燈明を 竜:へい、へえへえ‥‥‥オイ、つねマッチマッチ‥‥‥ 竜:あれえ!‥‥‥あっ、こんなとこにヘソクリかくしやがって つ:お返しよ、あた、あたしんだよ 寅:ガタガタしてんだよ 竜:うるせえ、どうも近頃金が足りねえ足りねえと思ったらお前‥‥‥あ、こんな沢山 御:こら!いいかげんにせんか 竜:へい 御:寅 寅:はい? 御:お前さっきから何がおかしい、誰の命日だと思うとるのか 寅:はい、父のであります 御:うむ 御:寅! :二階・春子の部屋 :バー(夜) 博:何とか傷ついた春子先生を慰める方法を考えなくちゃ、ね 寅:そうよ、俺アそれ言ってんだよ 寅:手前達男はな、くしゃくしゃしてる時には酒カッくらったり、バクチこいたりすりゃいいんだよ、ええ 寅:そういう時若い娘ってのは一体お前どんな事をしたらいいんだ? 博:そうですねま、僕なら 寅:うん、お前なら 博:休みの日にどっか、景色のいい、きれいな湖に連れてって、ボートを浮かべるとか 寅:うん、きれいな湖に、ボートか 博:気持のいい音楽なんかもいいな 寅:気持のいい音楽ねえ 博:夜、眼られない時の為には、何かこう悲しい恋の小説を贈るとか、まアそんなとこですね 寅:なるほどな‥‥‥湖に、ボートを浮べて‥‥‥美しい音楽で、悲しい小説か‥‥‥ :水元公園・橋 工員達:愛、あなたと二人。花、あなたと二人。恋、あなたと二人。夢、あなたと二人。二人の為-- :水元公園 工員達:--世界はあるの。二人の為、世界はあるの。 工員達:海、あなたと見つめ。丘、あなたと昇る。二人の為、世界はあるの。二人の為、世界はあるの。 :とらや・茶の間(夜) 寅:なア 竜:ああ? 寅:おいちゃんよ 竜:何だよ 寅:何か、こう、悲しい恋愛小説なんてなあしらねえかな 竜:何ィ、悲しい恋愛小説? 寅:ああ。アアハハ、あ、そうかそうか、ごめんごめんごめん 寅:そりゃ、おいちゃんにそんなこと聞いたってムリだよな、おいちゃんが悲しい恋愛小説なんか読む訳がねえから。うん 竜:馬鹿野郎 寅:え? 竜:俺だって若え頃はねえ、小説読んで涙をポロッとこぼしたことがあるんだよ 寅:へえ、そんな悲しい恋愛小説なんてあんのかい 竜:あるねえ‥‥‥想い出すだけで涙の出そうな奴があるよ 寅:はぁ。そりゃアまたどんなだい? 竜:婦系図 寅:へえー、そりゃどういう筋なんだい 竜:聞きてえかい 寅:ああ :春子の部屋 つ:ごめんなさい‥‥‥先生 春子:はい つ:ちょっと下へ降りてらっしゃいよ 春子:なーに? つ:兎に角おかしいんだから‥‥‥ま、早く。早くちょっと降りてらっしゃいよ :階段下 竜:『この酒井俊蔵を夫と思え、早瀬主税と思ってしたいことをしろ、念仏も弥陀もいらん 竜:一心に男の名を唱えろ、早瀬と称えて胸を抱け、お蔦ア‥‥‥早瀬が来た、ここにいるぞ』 寅:うん 竜:‥‥‥お蔦はなアもう眼が見えねえやな、意識もモーローとしている、 竜:細い手でしっかりと真砂町の先生の衿を掴んでこう言うんだ 寅:うん 竜:‥‥‥『ねえ、苦しい、口移しに薬呑ませて』 寅:うん‥‥‥それでどうしたい 竜:真砂町の先生はな言われるままに水薬を口にふくんで口うつしにお蔦の口へトクトクトク 寅:それで? 竜:お蔦はうっとりと仰向けになってな 寅:うん 竜:これが最後の一番いいね、セリフだ…… 寅:うん 竜:……『早瀬さん‥‥‥真砂町の先生が逢ってもいいって‥‥‥嬉しいねえ‥‥‥』 竜:流石の先生もここでハラハラハラと男泣きだ 寅:‥‥‥おいちゃん、あんまり泣かせねえでくれよ、そんなに悲しくちゃ! 寅:早瀬君だって泣いちゃうよなア‥‥‥ 春子:ごめんなさい、笑ったりして、つい、何だか‥‥‥本当ごめんなさい 寅:先生が笑ったなあ 竜:ああ 寅:ヘッヘッ 竜:ハッハッハッ 寅:先生久しぶりに笑ったなあ 竜:全くだなア、おいアハハ 寅:ワーッハッハッハッ…… :裏庭 寅:オーイ、労働者諸君!今夜は俺のおごりだア!大いに呑もう早く出て来い、野郎共!アッハッハ :参道 :幼稚園 :土手 :深川不動尊・境内 寅:天に軌道があるごとく、人それぞれに運命というものを持っております 寅:とかく羊の女は角に立たすなというが、 寅:もしそんなことを言ってるんだとしたら、貴女方娘さん一生お嫁に行けないな、そうだろううん 寅:ウフフじゃないよ、こうやってポカンと口を開いて私の話を聞いているということはだ。 寅:今日一日デートをする恋人がいないということだね 寅:まア私の話を聞きなさい、しかし人間一寸先きの運命は誰にも予測が出来ない 寅:私の話が終る、貴女が帰ろうとする、ぱっと出逢った眉目秀麗なる男の子が生涯の伴侶になるかもしれないよ 寅:人は見かけによらぬもの、何処から見ても女に絶対もてそうもない男だ、仕事が終る、家路につく 寅:がらっと格子を開けたらあれっと思うような美人が待っていてお帰んなさいなんてことがあるかもしれない、へへいやあるんだなア。うん :江戸川べり 園児達:メダカの学校は川の中。そーっとのぞいて見てごらん。そーっとのぞいて見てごらん。 園児達:皆でお遊戯しているよ。メダカの学校は-- :とらや・店 源公:大変だ、大変だ! 源公:た、大変だよ! 工員A:何だよ、大きな声出して 源公:ハ、春子先生の、恋人が来たんだよ! 博:ええ、恋人? つ:またいいかげんなこと言って、何かの間違いだろ? 源公:ソ、そんなことないよ、二人仲良く並んでね今、こっちへやって来るんだよ‥‥‥あ、来たよ 春子:只今 つ:お帰んなさい 春子:会沢さん、どうぞ 隆夫:今日は つ:いらっしゃい 春子:おばさん、お友達の会沢さん つ:あっ、どうも 春子:この店のおかみさん、とっても親切にして頂いているのよ 隆夫:始めまして、よろしく つ:あっ、こちらこそ、いつもいつもお世話になっております 春子:ね、私の部屋、上って見る?散らかってるけど つ:あっ、さあさ。どうぞ、どうぞ、どうぞ。フフフ…… 隆夫:うん つ:あっ、先生、あの、あとでお茶を持って行きますから 春子:どうぞおかまいなく 隆夫:失礼します つ:ははっ、どうぞどうぞ つ:ちょ、ちょ、ちょっと! 竜:見てたよ‥‥‥やっぱりいたんだなア、立派な男じゃねえか つ:どうする? 竜:どうするったってお前‥‥‥ :二階・春子の部屋 隆夫:しかし‥‥‥よかった 春子:何が 隆夫:とっても明るそうな顔してるじゃないか、君 春子:そう‥‥‥ 隆夫:どうしてかな 春子:さア‥‥‥判らないけど‥‥‥私、前より少し素直になったかも知れないわね 隆夫:うん‥‥‥ :参道 寅:メダカのガッコーはー、蓬莱屋、相変らず馬鹿か……川の中-- :とらや・店 工員A:これでよ、寅さんでも帰って来て見ろ、お前。えれえ事になっちゃうぞ つ:ね、もうすぐ寅さんが帰って来るかも知れないよ 博:おじさん、どうしましょう 竜:どうしようたって‥‥‥おい、源ちゃん、そこで見張ってろよ 源:あっ、へい 竜:何とか上の二人が出ていくまで寅の奴をな‥‥‥ 源公:あ、兄貴が帰って来たぞ 皆:えっ! つ:ひ、博さん、何とか寅さんを中に入れないようにしておくれよ 博:中に入れないったって‥‥‥ 竜:だから言わねえこっちゃねえんだ俺アもう‥‥‥ 弁天屋:おかみさん、兎にかく靴をかくなして、この靴 つ:あっ! 博:早く早く早く! 寅:メダカーのガッコーはーよう中小企業の労働者の諸君、 寅:些やかな憩いの一時ご苦労さん、川の中ー。春子さんは?あいたいた 竜:オイオイ、寅さん、寅さんよ 博:兄さん、話が‥‥‥ 寅:春子先生にこれお土産‥‥‥あとであとで‥‥‥ 博:あっ……あの…… 寅:メダカーのガッコウはー川の中ー……あっ! 竜:俺ァ、知らねえよ、俺ア‥‥‥ つ:何処へ行くんだよあんた 竜:い、いや、ちょ、一寸その辺まで つ:ダメだよ、逃げようたってずるいよ。そんな 竜:オ、オ、オイ、博。お前何処へ行くんだよ 博:ソロソロ仕事の時間が 竜:に、逃げるな、逃げるなんてダメだよお前、 竜:もうちょっとここにいて……おい、弁天、弁天屋お前俺と話があるんだろ、え? 弁天屋:いや、また、また、また…… 博:おいちゃん、悪いけど 竜:おい、ちょっ、ちょっ、ちょっと博。すまねえ。お、俺と一緒にいてくれよ、おい‥‥‥?! 竜:あの……いまお客さん来ていたろう 寅:いたよ 竜:ちょっと前にいらっしゃったんだ 寅:そうかい、よかった 梅:なんだなんだ、もう休み時間は終ったんだぞ、え? 梅:よう、寅さん、こいつらに聞いたよ、近頃、春子先生とうまくやっているんだってな 梅:こないだも水元公園でさアベックでボート漕いでたって言うじゃないか、へへへ……この色男 寅:この野郎!! 梅:な、何するんだ! 博:社長、まあおこらないで今一寸兄さんには事情が‥‥‥ 竜:寅さん、寅さんよ! 梅:ああ、ツゥ、痛エな、どうしたんだよ、一体全体 :参道(夜) :とらや・座敷 春子:あっ、おばさん つ:はい 春子:これどうも有難う つ:ああ、はいはい‥‥‥ 春子:寅さんまだお帰りにならないの 竜:なーにどっかで酒でもくらってんでしょう、御心配にはおよびませんよ つ:先生、大丈夫ですよ、よくあることなんですから 春子:そうですか 春子:あら変ったお人形さんね、じゃおやすみなさい 二人:おやすみ‥‥‥ 竜:おやすみ 春子:おやすみなさい つ:ねあたしもやっぱり心配だよ 竜:帰って来てからひと荒れあるかな つ:そうだねエ 竜:へたすりゃ、一つや二つぶんなぐられる覚悟しておかなくちゃいけねえな つ:いやだよ、ねやっぱりさくらちゃんのアパートに泊まりに行こうかしら 竜:遅いよ、おいあいつだぜ つ:ええ! 竜:で、で、で電気、電気、早く、早く、電気…… 竜:とにかくな寝たふりをしとけよ、いいか :店 :座敷 つ:何してんだろ 竜:しっ、しーっ 寅:‥‥‥何だよ‥‥‥すっかり年とっちまいやがって‥‥‥ 寅:おいちゃん、おばちゃんよ‥‥‥毎度のことながら、また笑いものになっちまったい‥‥‥ 寅:俺ア旅に出るぜ‥‥‥なア、また、今度もよ何ひとつ恩返しらしいことはしてやれなかったなア‥‥‥ 寅:そのうち必ず‥‥‥必ずいい目見さしてやるからよ‥‥‥ 寅:勘弁してくれよ、身体だけは大事にしてな、二人仲良く長生きしてくれよ‥‥‥春子先生によろしくな、あばよ 竜:オウ、もう出てっちまったか つ:行っちまったようだよ 竜:行ったかやれやれ‥‥‥汗かいちゃったなア、襖があいた時には一体何やらかすかと思って、俺ァ、ゾッとしちゃったよ つ:何言ってんだよ、あたしゃかわいそうになっちまって涙が出そうになっちゃったよ 竜:寝たまねなどしてねえで引きとめてやりゃあよかったかな つ:私もそうは思ったんだけどさア、あたし達が目開いてると知ったら、寅さん恰好がつかないだろ 竜:それよな、俺もそこを考えてたんだよ :店 つねの声:でもいいのかね、ほっといて 竜造の声:うん、しかしな、毎日ここにいて春子先生と顔をあわせんのも辛えだろうしな つねの声:本気で愡れてたんかねえ :座敷 竜:当り前だよお前‥‥‥馬鹿だね彼奴はまったく 竜:おい つ:まだ、いたのかね :とらや・表 :二階・春子の部屋 :参道(夜) :題経寺 :とらや・裏庭 竜:愡れたって無駄だってことはハナっから判ってるくせにどうしてまあ、ああトコトンまでいっちゃうのかねあいつは‥‥‥ 登:いやあ、そんなにきれいな人でしたか、その先生ってのは 竜:もうそりゃちょいとしたもんだったな、あの先生がとらやにいるとねまさしくはきだめに鶴だな、なあかあちゃん つ:自分だって相当いかれてたくせに 竜:ヘッ、妬いてやんの婆々ア つ:馬鹿々々しい、妬くほどの面かね 竜:アハハハ、いやま、そこだよな、俺なんざ手前の面考えてね、すぐころっと諦めちまうけどね、 竜:ま、その辺寅の奴は馬鹿なんだなア つ:なに、程度の違いなんじゃないのかい、男なんて 竜:なーに、アハハハ つ:さ、登……あれ、どうしたんだい登ちゃん 登:‥‥‥みんな俺が悪いんですよ‥‥‥俺があんな、へまな旅行社に勤めちまったもんだから‥‥‥ 登:兄貴は‥‥‥兄貴は俺のために‥‥‥ 竜:オイ、泣くこたアねえさ‥‥‥何もお前だけが悪いんじゃねえんだからよ つ:そうだよ、寅さんだってねそんなこともう気にしちゃいないよ :ローカル線 :車内 寅:その泥棒はよオ、俺たちが待っているってことも知らねえでよう 寅:鼻歌かなんかうたい乍らねそうっとあけて入って来やがって 寅:ねえそうするとよぉ、誰もいねえはずの部屋の中におめえ、ストーブがぽうっと点いている 寅:そこが泥棒の野郎おっちょこちょいだからよう 寅:北風にお前ピューッと吹かれて、ふう寒いなんて言ってやったのがね 寅:ストーブが点いていたもんだからすうっと側へ行ってよ、こらあいいなんてあたってやがんの‥‥‥ 寅:ああ暖ったけえなんてね、野郎言ってる内にはっと気が付いたんだよ 寅:どうして留守の家にこんなストーブが点いていたってね 寅:はっと気が付いて逃げようとしたこの時遅くこの時早く、野郎の衿上ぱっとつかまえて頭ぽかぽかぽかっとぶん殴ってやった 寅:これがまた根性のねえ泥棒でねえどうか命ばかりはお助け下さいとこういうんだよ 寅:なにをぬかしやがるんでえこの野郎!警察へ突き出してやる 寅:俺が一一〇番へ電話しようとするてえとね弟がよ、兄さんしばらくお待ちなさい 寅:警察へ連絡をする警察がくるわここへ私達が隠れているのが判ってしまいます。これ言われて俺は大弱りよ 寅:しようがねえんでね、なけなしの一万円札を泥棒にやって、どうぞお帰り下さいと頼んだんだ俺は‥‥‥ :走る汽車 :終